歌碑の道しるべ

当時の人たちの想いを伝える二十編の歌

伊達邦成とともに有珠郡に入植し経理・財政などを担当した文官の一人に佐藤助三郎脩亮(さとうすけさぶろうしゅうりょう)という家臣がおり66歳という高齢で家族とともに開拓事業のために移住してきた彼は文人としても伊達家家中で名をはせておりました。
脩亮自身は高齢もあり明治15年に故郷である亘理に帰りましたが、自らも和歌をたしなむ亘理伊達家当主邦成に命じられ地名にちなんだ和歌を二十首つくり残しています。
どの歌も単に地名を詠んだだけではなく、開拓当時の風景や当時の人々の心情がつづらており非常に稀な開拓文学遺産となって今に残っております。
この佐藤脩亮の歌を詠まれた土地に歌碑として残す事業が昭和57年より伊達郷土史研究会によりはじまり二十首十八基が平成元年に完成して「街に名づくる言の葉」の歌碑が建立されております。
盟主の邦成や他の家臣たちも多くの歌を残しており伊達家が歌と共にあった文化的な家風であったことがこの事からもわかります。

佐藤助三郎脩亮の全20首

佐藤脩亮の和歌には季語と同様に彼自身が学んでいた陰陽五行説の天・地・木・火・土・金・水に関する言葉が含んだ独特の歌が特徴です。

旭が丘: ひさかたの光あまねくさしのぼる 旭が丘のあけぼののそら(舟岡町)
梅本丁: 消えのこる雪のうちより咲出て ちるをいそがぬ梅の本つ枝(梅本町)
青柳丁: 今よりや昔の春にくりかえし みどり色そうあおやぎのいと(清住町)
桜小路: 君住まばうす山桜ことしより なおひとしほの色香をぞ添ふ(松ヶ枝町)
菖蒲小路: 君と臣とふかき根ざしのあやめぐさ 今日より千代のためしとぞひく(末永町)
泉小路: せき入れてむすぶも涼しおのづから 流れの末もきよき泉は(松ヶ枝町)
桔梗小路: 秋の野に千種はあれど咲きいずる なかに色こききちこうの花(北稀府町)
萩原丁: 宮城野の秋の錦を今ここに うつしてぞみる花の萩原(萩原町)
乾小路: 天にたたい父と唱えてものものの ねざしとなるもいぬいよりして(乾町)
岩が根丁: ゆるぎなき岩根に深くこけむして なつとも尽きぬ君が行く末(中稀府町)
弄月丁: いずるより入るまで空にあくがれて 月弄ぶ秋やいくあき(弄月町)
網代丁: 網代もるひ魚のよるや待ちふけぬ つきかげ寒きうすのかわなみ(網代町)
西小路: 夕日影高ねの雲を染め色の 茜をさらす西の山の端(元町)
巽小路: 世を宇治と人の言ひしは昔にて 巽の住まいなに憂かるべき(弄月町)
浜町: 世をおくるその営みに綱引きすと うすの浜辺の海士の呼び声(錦町)
南小路: めぐる日のしばしとどまる中空は ひだりも右も南とぞしれ(元町)
清住丁: 磨けただ心のちりの曇りなく げに清住の名にしおうまで(清住町)
松ヶ枝丁: としさむき霜の後にも色かえず 緑もふかくさかう松ヶ枝(松ヶ枝町)
竹原丁: 行く末は世よをこめたる竹原に 実をはむ鳥もすまんとぞ思う(竹原町)
末永丁: 祝うぞよ千歳万代君が代の 末永かれとあおぐ明け暮(末永町)
歌碑十八基

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