バチラー夫妻記念堂

アイヌの地位向上に尽力し、地域に受け入れられたイギリス人

キリスト教の宣教師であるイギリス人ジョン・バチラー(バチェラーと記載されることもあります)は明治の北海道に赴任しました。
当時アイヌの人々が受けていた社会的不平等に心を痛めた彼はアイヌ民族の地位向上と支援に生涯を捧げていきます。
アイヌの人々が教育を受けられるように学校を設立、水害や凶作で苦しむ土地のアイヌの人々に支援物資を送るなど単なるキリスト教布教のためではできない活動を太平洋戦争の始まりで強制退去を命じられるまで続けてくれた人物です。
その人柄にはアイヌだけではなく伊達にすむすべての人たちからも尊敬をうけ、地域に愛されてきた様子もうかがえます。

「若きウタリに」の作品が生まれた土地として

アイヌの豪族向井富蔵はバチラーの支援者であり古くからの彼の知人でもありました。
バチラーは彼の次女を富蔵亡き後に幼女として貰い受けることとなり、その娘が後に歌集「若きウタリに」の作者として知られる向井(バチラー)八重子となります。
八重子も終生バチラーに付き添いアイヌの地位向上に尽力していく活動家となっていきます。
その活動のかたわら書き溜めた歌集が、アイヌ語の研究としても知られる金田一京介博士の目に留まり掛川源一郎の編集によって世に広まっていくのでした。
「若きウタリに」はアイヌ民族であり、イギリス人の養女であり、そして日本人でもあるという彼女の数奇な運命と同胞への思い、そして生まれ育った有珠の自然への愛が和歌の形で綴られた歌集です。
アイヌ民族でもある彼女が日本語である和歌の形式で言葉を残していったという特殊なものでもあり、時に力強い言葉で書かれたその歌には悲しみや怒りなどの複雑な思いが込められています。
「海もよし 山もうつくし 人もよし ほんに住みよき 有珠コタンかな」などの歌も残っており、生まれ育った有珠の愛がうかい知れます。

夫妻の献身の偉業と八重子の言葉を今に伝える

バチラー夫妻の活動を記念し昭和12年に有珠の地にバチラー夫妻記念堂が建てられました。
アイヌの人々が「カムイ・タッコプ(神の丘)」と呼んでいた場所にキリスト教の神の家である教会が建ったとは異なる文化が融合を果たした成果ではないでしょうか。
また歌人として知られた八重子も地域の人々に愛され、1962年に生涯を閉じるまで伊達市の有珠に暮らしていました。
彼女の残した言葉を後の世に残すために「若きウタリに」から抜粋された歌碑がこのバチラー夫妻記念堂と他2か所にも建てられています。
館内の一般公開はされておりませんが、4月から10月までの礼拝日には見学は可能になっています。

住所 所在地 北海道伊達市向有珠町119
電話番号 お問合わせ 011-747-7339 札幌キリスト教会 大町牧師
開館日・休館日・開催日 開館時間 現在でも教会として使われており、館内の一般公開は行っておりません。 ただし、毎年4月〜10月の土曜日で礼拝がある日に、管理者の許可があれば見学は可能です。

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