-“北黄金貝塚”はユネスコ世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産です-
1987(昭和62)年12月25日に史跡指定をうけ、現在5ヵ所の貝塚のほか、水場の祭祀場、竪穴式住居、墓跡などが発見されています。
公園整備の際、様々な出土品を展示し、「模擬体験発掘」や「勾玉づくり」を体験できる「北黄金貝塚情報センター」の設置、市民有志によるオコンシベの会(ボランティアガイド)を設立し、来訪者に北黄金貝塚の価値や魅力、縄文時代の生活様式や精神性を市民の目線から判りやすく解説しています。
アイヌと和人の分岐点となった7000年前の史跡
北黄金貝塚は北海道に存在する縄文貝塚の1/5の面積を占める巨大貝塚です。
その敷地の数パーセントの発掘しか行われていないものの学術的価値の高い多くの出土品が出ている貝塚でもあります。
また生活様式に本州の縄文人との大きな差異がみられこの生活様式の違いが後にアイヌ民族としての成り立ちになっているのではないかと考えられています。
出土品のなかで目立つのは葬儀や祭事に使われたのではないかと思われる道具が多く、貝塚は古代人のゴミ捨て場というこれまでの学説に一石を投じる出土物が多いのも特徴です。
敷地には入館無料の資料館がありガイドをうけながらのこれら史料を見学することができます。
2021年7月27日に開催された第44回世界遺産委員会で登録が決定され、この遺跡を含めた北海道・北東北に分布する縄文時代の生活や文化を垣間見れる遺跡群の価値が世界的に認められました。
→世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群(外部リンク)
資源豊かな海が北の縄文人をかえていった
土器の他14体の人骨がみつかった北黄金貝塚ではその骨を調べることにより北方縄文人の食生活研究に大きな貢献をしております。
その食生活は噴火湾から得られる魚介のほかオットセイ・イルカ・クジラなどの海獣類またはシカなどの獣が主食であったようです。
ドングリなどの木の実を主食としていた本州の縄文人とくらべると歯には虫歯がほとんどなく、彼らがデンプン質の食品をほとんど口にしていないことがわかります。
彼らが使用していた土器や道具は本州の縄文人と同じ様式のものでありその渡来は不明であるものの、生活様式と食生活の違いが後に農耕民となっていく和人と狩猟民となっていくアイヌ民族への分岐点になっているのではないかと考えられています。
厳粛な葬儀の概念を持った北の古代人
貝塚から人骨のほかに付近の湧水の噴出地点には北海道最古例の水場遺構といわれる遺跡がみつかっています。
こちらでは1200点以上に上る「破壊された石器」が敷き詰められており、古代人が使命を終えた石器(道具)をこの場所で供養していたことがわかります。
出土した人骨も一か所にまとめられていることから埋葬・または葬儀の習慣があることもこの史跡からわかります。
ゴミ捨て場として貝塚に故人を埋めたとされたこれまでの学術的な定説に一石を投じる発見がこの北黄金貝塚よりみつかっているのも特徴です。
そこには縄文人や後のアイヌ民族がもつ自然崇拝文化の原点をみることができます。
世界最古の「刀」の出土
猟によって糧を得ていた北方の縄文人は道具にも独特の素材を用いていたようです。
クジラの骨の他、北海道に今も多く生息するシカも彼らの糧でありこれらの獣の骨は道具へと加工されていたことがわかっています。
多くの骨で作られた刀が出土しており、6000年前につくられたこの骨刀は刀の形状をとったものとしては現存する世界最古の品になります。 (世界最古の鉄剣であるトルコアンカラ遺跡の鉄剣は4300年前のものになります)
縄文人が愛した風景
北黄金貝塚公園は噴火湾を見下ろす小高い丘の上にあります。
海と山の中間点に存在するこの集落跡に立つと、その絶景に古代人がいかに海と山を崇拝し愛していたかが伝わります。
現在夏はハイキングやピクニックに訪れる方も多く、冬場はソリ遊びの絶好のスポットにもなっています。
毎年8月には縄文土器の野焼き体験や生活体験をしてみる「縄文まつり」が開催されております。
住所 | 所在地 北海道伊達市北黄金町75 |
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電話番号 | お問い合わせ先 0142-24-2122 |
開館日・休館日・開催日 | 午前9時から午後5時 4月1日から11月30日(期間中は無休) |
入場料等 | 入場無料 |